善 福 院

        小さな町の四つ目の国宝建造物

     昨日行った 橘本神社へ行く途中に、「善福院」 への大きい案内看板が立っています。
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     この案内看板に沿ってくねくねと山道を上がると、善福院の駐車場へ着くことが出来ます。
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    善福院の駐車場へ車を止め(無料)、歩くこと2~3分で 善福院に着くことが出来ます。
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      白い塀越しに 国宝・善福院の釈迦堂が見えて来ました。
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      正面の石段を登って行きます。
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   国宝・善福院釈迦堂です。 健保2年(1214年)、栄西(えいさい)禅師の創建と言われています。
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# by youshow882hh | 2007-07-03 00:30 | | Comments(12)

  橘本神社 (きつもと じんじゃ)

         垂仁天皇から頼まれ不老長寿の食べ物を求めて常世の国へ
   今を去ること2000年前、第11代垂仁天皇が田道間守を呼び、「西方の海の彼方、常世の国の
   蓬莱山に珍しい果物の木があるそうだが、その果物は不老不死の良薬になると聞く」 と仰って
   垂仁天皇は田道間守に 「お前が常世の国へ行ってその木の実を採って来ておくれ」 と言われました。
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   勅命を受けた田道間守は荒海を渡り、谷を越え、苦難の末やっと探し求めました。
   国を出てから10年目でした。 しかし帰国して見ると垂仁天皇は既に亡く、田道間守は悲しみにくれ
   御陵前で持ち帰ったその木を捧げ持ち、泣き果て、息が絶えました。
  橘本神社 (きつもと じんじゃ)_b0093754_044911.jpg

   田道間守が亡くなって、この木は彼の名に因み、田道間守→田道間花→橘になり、
   これが日本のみかんの元祖で、田道間守は今では果物やお菓子の祖神となっています。 
  橘本神社 (きつもと じんじゃ)_b0093754_045949.jpg

   昭和17年3月刊の「初等科音楽(1)」国民学校初等科第三学年用に収録されています。
   私も国民学校(小学校)三年生の時に習いまして、今でも忘れられない唱歌の一つになっています。
  橘本神社 (きつもと じんじゃ)_b0093754_051141.jpg

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# by youshow882hh | 2007-07-02 00:54 | 神社 | Comments(17)