左の建物は 「御霊屋」 です。
![]() 「初代頼宣公 寛文六年建立」 の看板がかけられていますね。 ![]() さて、この石段を登ったところに ・・・・・ ![]() 「御廟門」 があります。 ![]() 長保寺には紀州徳川家歴代藩主の御廟が山腹に5段構えで展開しています。 このような形式は全国に他に例がありません。 藩主廟所としては、全国一の規模なのです。 ![]() と、言っている内に、初代藩主頼宣公の廟所の前まで来ました。 紀州藩徳川家の 初代、二代、三代、四代、六代の藩主の墓碑には、全く何も刻まれていません。 これは、長保寺の墓碑の大きな特徴です。 ![]() 紀州徳川家の言い伝えでは、万が一、戦いが起こった時、簡単に墓が敵に暴かれないよう 用心のため、どこが誰の墓か分かりにくくするためであったと言われています。 誰の墓かは住職だけが知っており、近在の者も8月15日だけしか参拝が許されませんでした。 ![]() 人気ブログ ランキングに登録しました。 どちらもクリックして頂ければ嬉しいです。
by youshow882hh
| 2007-06-25 00:01
| 寺
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Comments(16)
なるほど江戸では寛永寺と 増上寺で交互に祀られているのですね。
また紀州では墓碑に文字が刻まれていないのは死んでからも油断が出来ないということなのですね。 江戸時代は安定した時代と思ったのですが、それは終ってから振り返ることで、 実際は大変だったのですね。
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yoas さん、こんばんは。
そうなんですよ。 お墓の紹介の時に書きますが、七代藩主になって 「それには及ばず」という事で、 七代藩主から、墓碑に銘が書かれるようになりました。 ポチ・ポチ♪ ありがとうございました。
おはようございます。 今日も勉強と散策です。
ダブルポチ!
おはようございます。私もポチ、ポチしておきましたよ。
はるか江戸時代のお墓のお話。。。墓碑に名前がないなんて信じられない事ですが、その時代、時代によってお墓一つをとっても違いがあるんですね。名前のないお墓って紀州のこちらだけでしょうか。。。 写真だけでなく、仏閣にまつわるお話も楽しいです。
お墓の主として五代が抜けているのは暴れん坊将軍様でしょうか
ゆーしょーさん、こんにちは。
とても奥深いところに、御霊所があるんですね。 徳川の繁栄は揺るぎないものと思っていましたが、当時は大変だったのですね。 歴史の時間には教えてもらえない事ですね。とても勉強になりました。 (likebirds妻)
ikkikurisan さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
紀州の徳川さんの勉強をして頂き、ありがとうございます。 森林の中は、ひんやりとしてとても気持ちがいいですよ。 それから、昨日のトップに書いています 「長保寺境内案内図 」 をぜひクリックして 長保寺の全体図を見てくださいね。 とても広いですよ。 ダブル・ポチ! ありがとうございます。
asuka 先生、こんにちは。コメント ありがとうございました。
江戸時代は、既に世は安泰になっていたと思いますが、慎重に慎重を重ね、 墓碑には名前を書かなかったのですね。 明日のブログには、初代藩主徳川頼宣公の墓が出てきます。 墓碑に何も書いていないって、見慣れない私たちには奇妙な感じがします。 尚、昨日のトップに書いています 「長保寺境内案内図 」 を是非クリックして 長保寺の全体図を見てくださいね。 一目瞭然、墓のひとつひとつまで書いていますよ。 先生も、ポチ・ポチ♪ していただいたのですね。 ありがとうございました。
きょうちゃん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
私も歴史に弱いのです。 この記事を書くに付けて、本やパンフレットで色々調べましたよ。 間違ったことを書けば、皆様に失礼ですからね。 明日のブログには、何も書いていない初代藩主徳川頼宣公の墓が出ますよ。 尚、昨日のトップに書いています 「長保寺境内案内図 」 を是非クリックして 長保寺の全体図を見てくださいね。 一目瞭然、墓のひとつひとつまで書いていますよ.。
小池さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
いいところへ気が付きましたね。後で書く予定でしたが、五代藩主吉宗は 江戸の八代将軍徳川吉宗になりましたね。 将軍になれば墓は東京の寛永寺か増上寺に祀られるのです。 吉宗は東京上野の寛永寺に墓があるのですね。 それから、昨日のトップに書いています 「長保寺境内案内図 」 をぜひクリックして 長保寺の全体図を見てくださいね。 とても広いですよ。 ぽちぽち!ありがとうございました。
likebirds の奥様、こんにちは。コメント ありがとうございました。
長保寺は全体で 15,000坪もあり、とても広く奥深いのです。 徳川家といってもまだ初期の頃は、慎重に慎重を重ね、墓碑には名前を書かなかったのですね。 七代目から、 「それには及ばず」という事で、墓碑に銘が書かれるようになりました。 ブログを書いている私自身もいい勉強になりました。 尚、昨日のトップに書いています 「長保寺境内案内図 」 を是非クリックして 長保寺の全体図を見てくださいね。 一目瞭然、墓のひとつひとつまで書いていますよ。 ぽちぽち!ありがとうございました。 ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
こんばんは^^
墓碑に何も刻まれてないというのは珍しいですね。 訳を知ると、なるほど納得します。 武将というものは先の先までを読み取って行動するものなのでしょうね。 戦いのある時代はなかなか生きにくい世の中だったのですね。。。 今も変わりなく生きにくいですが。。。 ポチポチッっと_〆(・・*)
理彩也さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
徳川家といってもまだ初めの頃は、慎重に慎重を重ね、墓碑には名前を書かなかったのですね。 七代目藩主から、 「それには及ばず」 という事で、墓碑に銘が書かれるようになりました。 その頃になって、やっと安泰な世になったのでしょうね。 それから、昨日のトップに書いています 「長保寺境内案内図 」 をぜひクリックして 長保寺の全体図を見てくださいね。 とても広く、墓碑のひとつひとつまで書いていますよ。 ぽちぽち!ありがとうございます。
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