和歌山便り

     紀州藩家老・三浦長門守の上屋敷跡です。 房総の正木氏の子孫三浦長門守為春は、家康の命により紀州藩祖・徳川頼宣の
     側近となりました。 その後、三浦氏当主は代々長門守を名乗っています。 (禄高1万5千石)
     三浦家上屋敷は、現在の5番丁とその北側の10番丁にわたり約17,000㎡の広大な敷地を占めていました。
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by youshow882hh | 2012-12-11 22:00 | 和歌山便り | Comments(10)
Commented by siawasekun at 2012-12-12 01:53
おはようございます♪♪

紀州藩家老・三浦長門守の上屋敷跡、・・・・・・。
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。

昨日も、とてもあたたかいコメント&応援ポチに、心より、恐縮、深謝、深謝です。
応援ポチ♪♪
Commented by mokonotabibito at 2012-12-12 09:13
三浦氏と言えば、頼朝の時代よりの関東武士の名門ですが、関係があるのかも知れませんね。
偏在は和歌山市のど真中で、こういうモニュメントが立っているのですね。
都会の中で歴史を感じる瞬間です。
貴重なお写真、ありがとうございました。
ポチ♪
ポチ♪
Commented by shuttle at 2012-12-12 09:29
youshowさん 今日は

坪に直すと、約5千坪ですね。普通百坪の敷地があれば、
立派な家が建ちます。50戸分の家が建つ勘定ですね。
家老ともなれば豪勢なものです。今でも、有力政治家などは、
それくらいの敷地の豪宅に住んでいますね。ポチポチ☆☆
Commented by シロチャンのパパ at 2012-12-12 10:12
おはようございます
歴史ある上屋敷跡なんですね
それにしても、5千坪の敷地とは豪勢です
羨ましい~
ぽちポチ
Commented by youshow882hh at 2012-12-12 14:46
幸せ君さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
この場所に紀州徳川の四天王といわれた三浦長門守為春の屋敷がありました。
和歌山城のすぐ前です。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2012-12-12 14:53
模糊さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
歴史にお詳しい模糊さん、三浦氏と言えば三浦半島を与えられた三浦氏ですね。
その三浦氏も平家の一門ですし、紀州の三浦氏も平家に関係ありますから
両方何がしかの関係があるものと思います。
この場所に一辺100m×200mという広大な敷地があったのですね。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2012-12-12 15:00
シャトル先生、こんにちは。コメント ありがとうございました。
17,000を3.3で割るとそのような数値になりますよね。
我が家にも江戸時代の古い地図がありますが、とにかく
広い敷地だったのですね。
石高も1万5千石といいますから立派です。
大物代議士はそのような広い屋敷に住んでいるのですか?
そりゃ大したものですね。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2012-12-12 15:05
シロチャンのパパ さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
和歌山城周辺に当時の家老だった屋敷跡にこのよううな標識が立っています。
とにかく広大な敷地です。
我々庶民は、都会なら20坪、郊外なら50坪で辛抱しましょう。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented at 2012-12-12 22:12
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by youshow882hh at 2012-12-12 22:36
あんじゅさん、こんばんは。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。


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