紀伊風土記の丘

    出入り口からはいると土間が広がり、中央に4本の太い柱を立て、大きな屋根を支えています。この柱は深い穴を掘って立てた
    電柱のように自立している構造です。 この時代の竪穴住居には床、窓、天井などがなく、すべてこのひと部屋で住んでいました。
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     「竪穴住居は縄文時代からおよそ1万年あまりも造り続けられ、原始古代の一般的な住み方とされています」・・・と記しています。
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     内部の床面積は正面4.5m、奥行き5.2m で、23.4 ㎡ の広さがあり、畳に換算すると 14 畳ほどの広さとなります。
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by youshow882hh | 2012-03-23 23:06 | 紀伊風土記の丘 | Comments(8)
Commented by シロチャンのパパ at 2012-03-24 05:24 x
おはようございます
一万年もこの様な建物で人々が生活
してたんですね 今から見れば随分と
進歩が見られなかったんですね、今では考えられません

ポチぽち
Commented by mokonotabibito at 2012-03-24 07:57
竪穴住宅、スゴイですね。
ここで日本人は、1万年も住んでいたのですね・・・
とても興味深く拝見しました。

でも、今こうしてそれを見せていただけるということも、またスゴイと思います。
ありがたいことです。
ポチ♪
ポチ♪
Commented by shuttle at 2012-03-24 08:57 x
youshowさん

以前「登呂遺跡」でみた「竪穴式住居」の内部が甦ってきました。
直接土間で生活しているのでしたね。今でもインドネシアの原住
民などでは、樹上生活者や穴居住居者がいるそうですが、日本も
嘗て大昔は、似たような住居だったんですね。ポチポチ☆☆
Commented by 周坊 at 2012-03-24 11:42 x
ゆーしょーさん こんにちは。

鉄器もないのにあんなに太い木(柱)をどうして切ったのでしょうか。一本切るのに何ヶ月もかかったかもしれませんね。
100万年とも云われる人間の歴史の直近100年が人類を滅ぼそうとしています。
Commented by youshow882hh at 2012-03-24 14:24
シロチャンのパパ さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
2枚目の写真を拡大して読んでみると、「竪穴住居は縄文時代からおよそ
1万年あまりも造り続けられ」・・・と書いてますので驚きました。
長くても千年くらいと思ってました。
復元できるのがすごいと思います。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2012-03-24 14:29
模糊さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
実は私もこのような竪穴住宅で1万年も住んでいたとは思ってもいませんでした。
千年前後かと思ってましたのでこの説明を読んで驚きましたよ。
何かのきっかけで、この住居を2m ばかり持ち上げ、床をかいた
現在のような住宅が出来たそうです。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2012-03-24 14:35
シャトル先生、こんにちは。コメント ありがとうございました。
私の写真を見て、「登呂遺跡」で見た「竪穴式住居」の内部を
思い出していただき嬉しいです。
私も昭和42年に行ったきりですので、ほとんど忘れてしまいました。
先生が仰るように、南方では木の上や川の上での生活をテレビや写真でよく見かけます。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2012-03-24 14:40
周坊さん、こんにちは。コメント ありがとうございました。
直近の100年は昔の1万年以上に匹敵するのでしょうか。
何もかもすごいスピードで進化して行きます。
エホバの証人が言っている 「ハルマゲドン」 が現実味を帯びてきました。
ノアの方舟に乗った人だけが助かるそうです。


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