お城の見える街かど

     公園前

   公園前の住友銀行前からも和歌山城を望むことが出来ます。徳川時代にはこの地に家老・三浦長門守の
   上屋敷が建っていました。 この三の丸には高級武家屋敷がずらりと並んでましたが、中でも三浦長門守、
   安藤飛騨守、水野土佐守の三つの家老屋敷は広さにおいて抜きんでいました。 (下の部分絵図参照)
  お城の見える街かど_b0093754_23365399.jpg

    一の橋から京橋までの225メートルの路線に三浦家、水野家の2軒の屋敷しかありません。
    三浦長門守の屋敷はおおよそ5,000坪にも及びます。
    上の写真は、「三浦長門守」 の 「浦」 あたりからの撮影です。
  お城の見える街かど_b0093754_23365987.jpg

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by youshow882hh | 2011-08-04 00:00 | お城の見える街かど | Comments(12)
Commented by siawasekun at 2011-08-04 03:22 x
おはようございます♪♪

お城が見える景色、・・・・・・。
好きな景色です。
眺めて、心癒しでした。
ありがとうございました。

ブログ交流って、いいものですね。

昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
応援ポチ♪♪
Commented by risaya-827a at 2011-08-04 08:10
youshow882hh さん、おはようございます^^
高台に聳えるお城を囲んで三役とも言える家老が住んでいたり
その他のお侍さんも住んでいたのですね!!!
これだけの広さがあると、お住まいも立派だったのでしょうね、きっと。。。
しかし、ここのお城はかなり遠くからも見ることが出来て
イザ!!! と言う時は、大勢のお侍が参集したことでしょうね♪
ポチポチッ☆彡
Commented by vimalakirti at 2011-08-04 12:30
こんにちは。
お城を取り囲む「お役人」のお屋敷には女房子どもも一緒に
暮らしていたのでしょうね。そして、職人や町民もまた、お城を
囲んで暮らしていたのですね。お城との距離で、地位や身分や、
貧富も分かるような暮らしだったのでしょうね。
もし、この時代に私が生きていたら、どのあたりで、どんな暮らしを
していただろう... と空想してしまいます (^ー^)
Commented by mokonotabibito at 2011-08-04 17:17
お久しぶりです。
沖縄を放浪しておりましたが、台風が来たので帰ってきました(笑)
また、よろしくお願いします。

御家老というと偉い身分だったのでしょうね。
今は銀行になっているのですね。
歴史を感じるお写真と絵図です。とても興味深いですね。
ポチ♪
ポチ♪
Commented by 周坊 at 2011-08-04 19:52 x
ゆーしょーさん こんばんは。
♪紀州の殿様お国入り♪と童謡にも歌われていますから、ご三家といえども参勤交代はあったのでしょうね。
それぞれの役人が江戸にも屋敷をもっていたのでしょうから、それを支える民、百姓は大変です。
Commented by youshow882hh at 2011-08-04 21:20
幸せ君さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
和歌山の市民はお城を見ながら育ってきました。
それほどお城は市民にとって大切なものです。
戦後の13年はお城がなかったので寂しかったです。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-08-04 21:25
理彩也さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
この絵図を見ていただければ分かると思いますが、内堀と外堀の間に
高級武家屋敷が並んでいますね。
お城への登城に近いところにそれらの屋敷があったのです。
外堀の外は町人の民家となっており、町名だけでそれぞれの
名前が出ていません。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-08-04 21:29
みどりさん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
私たち一般の町民は、外堀の外側に住んでいました。
そして町名には 「大工町」「八百屋町」「桶屋町」という名があるように
それらの町には職人や商人が住んでいました。
城下町なればこその町名が今でも多く残っています。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-08-04 21:34
模糊さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
沖縄からお帰りなさい。
沖縄は台風銀座ですから早く帰ってきたのは正解です。

この地図にある家老屋敷は、今は学校や市役所、商工会議所、
銀行、電話局、郵便局、などの建物が建っており、民家は少ないです。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-08-04 21:36
周坊さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
はい、そうです。
御三家といえども参勤交代がありました。
江戸には紀州の上屋敷がありましたね。
士農商工の時代でしたからね。
Commented by shuttle at 2011-08-05 10:37 x
youshowさん 今日は

お城の写真も、相変わらず美しいですが、城を囲む古地図が、
興味深いです。仰るように武家集団がお城を取り囲んで、警
護している形。中でも家老の「三浦家」は5千坪の屋敷と言う
事ですが、同じく家老の「水野家」「安藤家」も、同じくらいの
広さです。この中には、いざと言うとき武士や、足軽など戦闘
集団が集結できたのでしょうね。  ポチポチ ☆☆
Commented by youshow882hh at 2011-08-05 19:50
シャトル先生、こんばんは。コメント ありがとうございました。
お城の近くにあるのが内堀で、武家屋敷の外にあるのが外堀です。
内堀と外堀の間には多くの武家屋敷が建っていますね。
そして外堀の外には商人や町人たちが住んでいます。
武家屋敷のある区画は、すれぞれの名前が記されていますが
町人の住まいには、番地だけが記されていますね。
そして城下町特有の「大工町」とか「桶屋町」「紺屋町」「八百屋町」「匠町」
などの名前の町が多くあります。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。


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