カテゴリ:紀伊風土記の丘( 56 )

  紀伊風土記の丘  終

     「紀伊大王」 と名づけられた古墳時代の 「クスノキの巨木」 です。この巨木(周囲12m、直径4m)は、平成23年9月
     に紀伊半島に甚大な被害をもたらした台風12号の通過後、紀ノ川(和歌山市六十谷橋付近)で発見されました。
     放射性炭素年代測定法による年代測定で、西暦700年前後まで生育していたものと判明し、古墳時代から奈良代に
     かけてのクスノキと考えられます。
b0093754_19444327.jpg
b0093754_19445682.jpg
b0093754_1945731.jpg
b0093754_19451952.jpg

人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。

by youshow882hh | 2017-10-12 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(12)

  紀伊風土記の丘 

     旧谷村家住宅は、和歌山県の中部の山間部である有田郡有田川町粟生に建てられていた農家で昭和45年
     (1970)にここへ移されました。
b0093754_14115313.jpg

     谷村家は約250年前に建てられた古い住宅で、正面9m、奥行き8mの中規模の住宅です。 
     屋根はとても急で大きく、茅(かや)という植物で葺いています。
b0093754_14121141.jpg
b0093754_14124852.jpg
b0093754_14134163.jpg

     室内の右側は3つの部屋からなるため 「三間取平面」(みまどり) という形式になっています。手前は、中心となる
     「オモテ」 で、10畳の大きな部屋に、仏壇や神棚など設けられています。奥は 「ナンド」 とし、3枚の畳と板床から
     なり、生活の部屋としています。
b0093754_14143052.jpg
b0093754_14144513.jpg
b0093754_1415099.jpg

     三連のカマドです。昔は、かまどで火をたいて調理をしました。 そのため台所では今では見られない 「火を起こす・     
     火を運ぶ・火を消す」 道具などがありました。右から 「せいろ」(蒸篭) 「ちゃがま」(茶釜) 「かま」(釜)です。
b0093754_14151567.jpg
b0093754_1415465.jpg
b0093754_14161622.jpg



人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。
     
by youshow882hh | 2017-10-11 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(16)

  紀伊風土記の丘 旧小早川家

     「旧小早川家住宅」(農家) です。 もと和歌山県の中部の山間部である日高郡日高川町三佐に建てられていた農家で、
     昭和45年(1970)にここへ移されました。 約250年前(江戸時代の後期)に建てられた古い住宅で、正面・奥行きとも    
     約6メートル強の小さな住宅です。 この住宅は二間取りという古い形と、内部を一つの大きな空間として使うなど、農家
     の初期の形をよく残した大切な建物です。
b0093754_22513781.jpg
b0093754_22515246.jpg
b0093754_2252660.jpg
b0093754_22522188.jpg
b0093754_22524175.jpg
b0093754_225333.jpg
b0093754_22531762.jpg
b0093754_22533069.jpg
b0093754_23335082.jpg

 人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。
    
by youshow882hh | 2017-10-09 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(16)

  紀伊風土記の丘 竪穴住宅

     復元竪穴住宅です。 屋根は入母屋造りといわれる形式で、正面と背面の頂上には三角形の煙出しが付いています。
b0093754_2123749.jpg
b0093754_2125770.jpg

     内部の床面積は正面4.5m、奥行き5.2m で、23.4 ㎡ の広さがあり、畳に換算すると 14 畳ほどの広さとなります。
b0093754_213122.jpg
b0093754_2132785.jpg

     この時代の竪穴住居には床、窓、天井などがなく、すべてこのひと部屋で住んでいました。
b0093754_2134149.jpg
b0093754_2135640.jpg
b0093754_214932.jpg

人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。


     
by youshow882hh | 2017-10-08 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(10)

  紀伊風土記の丘 旧谷山家

     紀伊風土記の丘の続きです。今回は重要文化財・旧谷山家住宅です。谷山家は昔、和歌山市の南に接する海南市塩津で
     漁業と海運を営んでいました。建物は寛延2年(1749)に建てられた古い漁家で、建築年代が確認出来る貴重な建物です。     
b0093754_20441083.jpg
b0093754_20442752.jpg
b0093754_20444321.jpg
b0093754_20445973.jpg
b0093754_20451150.jpg

     紀州沿岸部の漁村では、イワシ等をとる地曳網漁(じびきあみ)が盛んに行われていました。
     次の3枚は紀州沿岸漁村で収集した漁具です。 江戸時代から昭和前期にかけて使われていました。
b0093754_20473588.jpg
b0093754_20475794.jpg
b0093754_20481075.jpg
  
 人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。
  
by youshow882hh | 2017-10-07 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(14)

  紀伊風土記の丘 旧柳川家

     重要文化財・旧柳川家住宅です。 もと和歌山市の南に隣接する海南市黒江の入り江に建てられていた町屋で、昭和46年に、
     この地に移されました。 黒江は「黒江塗」という漆製品の生産地として有名で、中心の「川端通り」は商家が建ち並んでいます。
     この柳川家も、もと 「川端通り」 に面して屋敷を構え、漆製品の製造と販売を手広く営んでいました。
b0093754_22495713.jpg
b0093754_22501633.jpg
b0093754_2251238.jpg
b0093754_22514699.jpg
b0093754_2252015.jpg
b0093754_225212100.jpg
b0093754_22522594.jpg

     「井戸です。 昔は飲用水や生活用水を貯める設備。水を使うたびにツルベで井戸から水を汲む大変な作業だったため、
     水は大切に使っていました」 と、記されています。
b0093754_22523889.jpg
b0093754_22555362.jpg

人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。

by youshow882hh | 2017-10-06 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(14)

  紀伊風土記の丘

     3年ぶりに 「紀伊風土記の丘」 へ行って来ました。 和歌山県立紀伊風土記の丘は、和歌山市にある国指定の
     特別史跡である「岩橋千塚古墳群」(いわせせんづか こふんぐん)の保全・研究・公開を主たる目的として197
     1年8月に開館した考古学・民俗学系の登録博物館施設です。
b0093754_20533251.jpg
b0093754_20534694.jpg
b0093754_20535644.jpg
b0093754_205478.jpg
b0093754_20541824.jpg
b0093754_20542889.jpg
b0093754_20544018.jpg
b0093754_20545361.jpg

人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。

by youshow882hh | 2017-10-05 00:00 | 紀伊風土記の丘 | Comments(10)

  紀伊風土記の丘

     のびのびになっていた紀伊風土記の丘の最後は 「旧小早川家住宅」(農家) です。
b0093754_19484634.jpg

     もと和歌山県の中部の山間部である日高郡日高川町三佐に建てられていた農家で、昭和45年(1970)に
     ここへ移されました。約250年前に建てられた古い住宅で、正面・奥行きとも約6メートル強の小さな住宅です。
b0093754_1949952.jpg
b0093754_1950631.jpg
b0093754_19573479.jpg
b0093754_19574788.jpg

     この住宅は江戸時代の後期に建てられ、二間取りという古い形と、内部を一つの大きな空間として使うなど、
     農家の初期の形をよく残した大切な建物です。
b0093754_1958867.jpg
b0093754_19582457.jpg
b0093754_1959638.jpg

  人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。

by youshow882hh | 2014-11-19 20:37 | 紀伊風土記の丘 | Comments(16)

  紀伊風土記の丘

     旧谷村家住宅の後半です。左側は、奥まで通った土間で天井はなく大きな梁を見せ、大きな空間を作っています。
b0093754_17225967.jpg

     三連のカマドです。昔は、かまどで火をたいて調理をしました。 そのため台所では今では見られない 「火を起こす・     
     火を運ぶ・火を消す」 道具などがありました。手前から 「せいろ」(蒸篭) 「ちゃがま」(茶釜) 「かま」(釜)です。
b0093754_17231411.jpg

     からうす(唐臼)は、玄米をトントン搗いて米を白くするために使う道具です。これは子供の仕事で、毎日1時間くらいは
     唐臼を踏んで米つきをしました。私もよく搗きました。手前の土間は、室内での農作業や夜なべ仕事に使っていました。  
b0093754_17233284.jpg

     昔の木製の脱穀機です。
b0093754_17234976.jpg

     苗運び篭と天秤棒(オーコ)です。 私達はオーコとかオコとか言いますが、皆さんは何と言っているのでしょうか。
b0093754_1724271.jpg
b0093754_17244674.jpg
 
  人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。

by youshow882hh | 2014-10-29 17:51 | 紀伊風土記の丘 | Comments(18)

  紀伊風土記の丘

     「竹燈夜」のため遅れている紀伊風土記の丘です。 坂を登った左手に、旧谷村家住宅があります。和歌山県の
     中部の山間部である有田郡有田川町粟生に建てられていた農家で、昭和45年(1970)にここへ移されました。
b0093754_1631758.jpg
b0093754_16312687.jpg

     谷村家は約250年前に建てられた古い住宅で、正面9m、奥行き8mの中規模の住宅です。 
     屋根はとても急で大きく、茅(かや)という植物で葺いています。
b0093754_16315879.jpg

     室内の右側は3つの部屋からなるため 「三間取平面」(みまどり) という形式になっています。手前は、
     中心となる 「オモテ」 で、10畳の大きな部屋に、仏壇や神棚など設けられています。奥は 「ナンド」
     とし、3枚の畳と板床からなり、生活の部屋としています。
b0093754_16323222.jpg
b0093754_16324968.jpg
b0093754_1633564.jpg
b0093754_16402297.jpg

  人気ブログ ランキングに登録しました。
  bana-1

       ↑ クリック (ポチ♪ ) して頂ければ嬉しいです。

by youshow882hh | 2014-10-28 17:10 | 紀伊風土記の丘 | Comments(16)